Column
■代表 かしむらかおりのコラムより「フローレンスナイチンゲール」
「オーラソーマ いのち から いのちへ その3~愛を引き寄せるボトルの奇跡~」
家族や大切な人が苦しんでいる時に、なにかしてあげたくて、いてもたってもいられない。
そんな時に、もしオーラソーマRの存在を知ったら「どのボトルが愛する人の助けになるのかしら?」と、とても知りたくなるのは、誰しも同じでしょうね。 あるいは、みなさんもそんな経験をしたことがあるかもしれません。
何年前になるでしょう。 ひとりの女性が訪ねてきて、「病床の父をなんとか助けてあげたい」と言いました。 彼女はオーラソーマの存在を知って訪ねて来たものの、実際にボトルをみたのは初めてで、その情報も全く持っていませんでした。
そして、「脳梗塞で倒れた父にはどのボトルがいいのでしょうか?」と訊ねました。 余程、藁をもつかむ気持ちだったのでしょう。 ここに辿りつくまでに、あらゆる場所に出向き様々な手を尽くしたそうです。
これまで元気に働き、社会的にも年齢に応じた地位を築き、安定した毎日を過ごされていた60歳目前の男性を突如襲った病。 そして左半身麻痺という後遺症に、ご家族はもちろんのことご本人の受けたショックはあまりにも大きく、すっかりやる気を失ってしまって、医師の勧めるリハビリすら拒否しているとのことでした。
そんな父親を助けるために、なにかいいものがないかと奔走していたのでしょう。 まるで特効薬を求めるかのような彼女の想いが伝わってきました。 こちらからは 「情報をお伝えすることはできますが、宜しければお父さまのことを思って、まずご自分を信頼してボトルを選んでみませんか?」とお伝えしたところ、 彼女はしばらくの間、静かにボトルを1本1本ゆっくり眺めると、ある1本のボトルに目をとめて、手を伸ばしました。 選ばれたのは、B25フローレンスナイチンゲールのボトルでした。 上層の色はパープルで頭部のチャクラと関連し、ヒーリングのエネルギーでもあります。 そして下層の色はケアと配慮のマゼンタ。
このボトルは別名「回復期のボトル」とも呼ばれています。 そもそもこの名前がついた理由は、マイクブース氏の著書「新ネーミング オブ ザ ボトル」の中にも書かれていますが、このボトルを必要とする人々の背景に、たいていの場合大きな病を経験したか、その回復期に差し掛かっていることが多かったからです。 存在が、トラウマや大病からくる困難を経験するとその経過が順調であっても、体が源から元気になるには準備が必要で、適切な時期があります。 このボトルはエネルギーの回復のプロセスを象徴しており、また一方でそういった大病を患った人の回復期を積極的に世話をしている人が惹かれるボトルでもあるのです。
やはり私たちの中の智慧は、ボトルの色が織りなす意味を既に知っているということをここでもまた証明してくれました。 このボトルもまた、イギリスのオーラソーマ社で誕生したときにはすでに、彼女のお父さまとの約束があり、その使命を果たすために長い旅をしてきたのでしょう。 ようやく運命の相手と出会い、私のもとから旅立ってゆく時のボトルたちはいつも、とても誇り高くみえます。
そして彼女は「もう一本気になるボトルがある」と言ってB57パラスアテナのボトルを一緒に持ち帰りました。 このボトルもまた、上下の色のペールピンクとペールブルーをミックスするとペールバイオレットという頭部のチャクラカラーでもあり、深いヒーリングの色であることも偶然ではないのでしょう。 ナイチンゲールやパラスアテナは女性を象徴する名前がついたボトルであり、そのいずれも女性ならではの智慧と配慮が後ろ盾となった、底力や強さを感じさせることが印象的でした。
その後、一ヶ月もしないうちに彼女から連絡が入りました。
あれからすぐに、B25とB57の2本のボトルをお父さまの病室に持参して、ご本人の見えるところに飾ったそうです。 何事にも興味を失っていたお父さまでしたが、ボトルに少し興味を示したくれたことから、「これは身体に塗ることが出来る」ということを伝えると、自らB25のナイチンゲールの色を選び、娘さんがご自分の身体に塗ることを許可してくれたそうです。 そこで彼女は、病に倒れて以来不自由になった父親の左手に、回復の祈りを込めて塗ってあげたそうです。 すると、数日後にはお父さまの心境に変化が現れて、今度はボトルを「自分で塗ってみる」とおっしゃったそうです。 ボトルは自分で塗る場合は、「左手でシェイクしてよく混ぜてから」と聞いていた彼女は、不自由な左手でボトルを持つお父さまの手の上から、自分の手を重ねて一緒にボトルをシェイクするのを助けたそうです。 その後、お父さまはリハビリも受け入れてくれるようになり、医師も驚く程の早い回復だったそうです。 そして、さらにその後はしばらくして会社にも復帰されて、現在もお元気にされているようです。
このような素晴らしい結果に至ったのは、ナイチンゲールのボトルも、その使命を果たしたのでしょうが、なによりも彼女の、お父さまに対する深い愛が大きな奇跡を生んだのだと思います。 回復期のボトルでもあるナイチンゲールはその名前の通り、看護学を確立させたフローレンスナイチンゲールに由来し、彼女の生き方そのものを象徴しています。 19世紀のはじめという時代に生まれ、女性でありながら生涯かけて成し遂げた偉業の数々と、今尚、多くの人の心を打つナイチンゲールの遺した名言は、彼女自身が、どの瞬間も奉仕を実行してゆく為の改革に命を捧げた勇敢な聖女であったことを感じさせます。
どのひとも、理想を語り、そして思い描くことはできても、そのために改革の行動を起こすことは一体どれだけの人ができるでしょう。
同様に、家族が苦しんでいる時に、解決を願うことは出来ても、そのために具体的に自分が行動し実行してゆける人はどのくらいいるでしょうか? オーラソーマのことを知って、訪ねて来てくれた彼女のその思いと、実行力はまさにお父様にとってのナイチンゲールそのものだったのでしょう。 彼女の深く強い愛情がボトルの協力を呼び、奇跡を生んだのです。
ところで、最後に彼女がさらに興味深いことをシェアしてくれました。 「あのとき、57番のパラスアテナというボトルも持ち帰り、病室にはナイチンゲールのボトルと一緒に飾ってあったのに、病室に入ってくる看護師さんたちがみんなナイチンゲールのボトルに興味を示して手を伸ばしたのが面白かった」と。
実は、この話を聞いていた私は、数年後に自分自身が入院した際に是非ともこのテストをやってみたいといたずら心が働き、ナイチンゲールのボトルを含む10数本のボトルを病室に並べて、その反応を観察しました。
すると、「これキレイですね。なんですか?」と、本当に面白いようにナイチンゲールのボトルに触るのです! そして、彼女たちはボトルの名前を知ると、一層興味を持ちました。
退院の日を迎えた時、病室を出ようとする私のもとに、手の空いていた数名の看護師さんたちが入ってきました。 驚く私に、彼女たちは、ボトルのことがどうしても気になり、話が聞きたくて、まさに私の回復を待っていたというのです。
私は、オーラソーマのことや、ナイチンゲールをはじめボトルのことをお話しさせていただき、彼女たちの数々の質問に答えているうちに、退院は2時間遅れました。
白衣の天使という言葉は、ナイチンゲールの行いから生まれました。 夜中に苦しむ傷ついた兵士たちのために、ナイチンゲールは毎晩ランプを持って見廻ったことから、ランプの貴婦人とかランプの天使とも呼ばれたことがはじまりだそうです。 今の看護師の夜勤制度の生みの親も彼女です。
その彼女のエネルギーは、こうして今もなお、看護や介護に使命を得た人々を魅了し、多くのことを教え続けているのでしょう。 「天使とは美しい花を撒き散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者のことだ」と。
柏村 かおり 記