Column
■代表 かしむらかおりのコラムより「エッセネボトル2/蓮の花の中の宝石」
「オーラソーマ いのち から いのちへ その4~蓮の中の宝石~」
今年も、間もなくゴールデンウィークにラハシャ先生の「ハートからのカウンセリングスキルコース」がはじまりますね。
私は贅沢なことに、毎回ご一緒させていただき、そのたびオーラソーマが大切にしている理念を改めて気づかせていただいています。 以前、そのラハシャ先生とのやり取りのなかで、B71「蓮の中の宝石/エッセネボトル2」の、その深い意味を感じたので、今回はそのことをみなさんにもお伝えしたいと思いました。
みなさんはご家族にボトルを選んでもらったことはありますか?
私は、数年前に一度だけ、父にボトルを選んでもらうチャンスがありました。
照れくさそうに、それでもさほど時間がかかることもなく、父が選んだボトルは、上層がピンク、下層がクリアの71番の「蓮の中の宝石、別名エッセネボトル2」でした。
優しい愛の色が、澄んだ光を抱いたボトルです。
私はその瞬間まで、父が選ぶボトルをまったく想像できませんでしたが、選ばれてみると、そのボトルは父そのものでした。
正確には、父の人生そのものでした。
家族を大切にし、自分が関わるすべてのことに対して注意深く、触れる物を傷つけないように扱う姿勢は、人に向けられるものとまったく同じ配慮が、小さな物に対しても向けられていました。
不器用なほどまじめで、これといって趣味を持たなかった父は、庭で育てるあらゆる植物や果物をケアするのが休日の日課でした。 四季折々に、私たちを飽きさせることはなかった花々は、球根や種から父の手によって育まれ、通年楽しめた果物も、実際に食べたあとの種から植えて育てたものがほとんどでした。
もの静かで、穏やかな父に、私たち家族はいつも静かに守られ、包まれてきました。
ところが、いつのころからか、私にはとても気になることがありました。
それは、一度も父の涙を見たことがないということです。
父の人生は、もの静かな彼からは想像できないほど厳しく、精神的にも辛いことの多い人生であったはずなのに、どのような辛い状況にも、そのただなかで、ただ静かにうつ向き、黙っている姿は、過ぎ去る嵐を忍耐強く待つ樹木のようでした。
オーラソーマと出会ってからの私は、経験上、人のなかにある涙が、時間とともにどこかに消えていくというものではなく、ただそこに、蓄積されていくというふうに理解していました。
それだけに、父が「蓮の中の宝石」というボトルを手にしたときに、私は父のなかの流されていない涙があるのを見たように思いました。
穏やかなピンクの愛に抱かれて、その涙は下層に静かに佇んでいました。
そのことを確信してからの私は、その涙の行方がただただ、気になりました。
あの涙を、流さなくて父は辛くはないのだろうか? 彼がいずれ、肉体から旅立っていくとき、その涙はどこにいくのだろう。
このまま、涙も連れていくのだろうか? そんなことばかりが、頭をよぎりました。
そして、ラハシャ先生が来日していた際に、先生に訊ねたのでした。
「どんな辛いことが起きていても、父の泣いた姿を見たことがありません。でも、父のなかには涙があることを、とても感じています」ラハシャ先生は「昔の男の人は泣かないですね」と、丁寧に答えてくれました。
そして、「僕も、父の涙を見たことがありませんでした。昔の男の人は強くいるように、泣いてはならないと教育されています」と。私が、「涙は溢れでるものですよね。コントロールできるものではないですよね」とたずねると、先生は、再び丁寧に「コントロールできるのですよ。そういう風に教育された人はね。泣かないということができるのです」と、教えてくれました。
「でも、流されない涙はなくならないと感じています。父がもし、このまま涙を流すことなくこの人生を終えてしまったら、その涙はそのまま連れていくことになるのですか?」
なおも質問をする私に、先生は根気強く答えてくださいました。
「そうかもしれないですね」
優しい表情でうつむいた先生は、少し間をおいて再び私に「お父さんは何歳ですか?」と尋ねました。
「89歳です」と答えると、先生は、小さな子供を諭すように静かにゆっくりと、「そうですか。ずっとそうして生きてきたお父さんを、変えようとしないでくださいね。お父さんのなかにある涙も一緒に愛してあげてください」
とっさに私は、「父を変えようと思ったわけではないのです」という言葉が出そうになるのを、のみこみました。
蓮の中の宝石。
蓮は沼地にいます。
そこで、沼のなかの栄養を静かに受け取って、そこで咲くと決めて美しく咲いています。
その蓮が、自分に栄養を与えてくれる沼を気に入らなくて、かき乱すようなことをしていたら、あのように美しく咲くことはできなかったでしょう。
ありのままを、そのままを愛するということ。 その本当の意味を、またひとつ教えていただいたように思いました。
「蓮の中の宝石」というのは、真珠を意味すると言われています。
母貝たちが人工的に入れられた核を、その痛みから自分の一部として受け入れようと、涙の光で紡いだのが真珠だと言われています。
苦しみを超えた美しさ。それが「蓮の中の宝石」です。
涙は、父の美しい経験の結晶となり、それはすでに痛みを感じる悲しみではなく、彼のなかの宝石になっていたのです。
私は、その宝石を父から取りだしてあげたいと思っていたのでした。
無理強いをしない、ありのままを愛する、オーラソーマが大切にしている理念。
たくさん教えていただいてきたはずなのに、「父のなかに存在する過去の涙を、父に流してもらいたい。そうしたら父は楽になるはず」と、私はどこか潜在で、父を変えて楽にしてあげられると思っていたのです。
ラハシャ先生のコースに参加させていただいていると、毎回多くの気づきがあり、先生が参加者に語りかける言葉や、仕草、その行ないから、自分のなかの人に対するコントロールを感じてハッとします。
ラハシャ先生は、私たちのありのままを愛するということを、どの瞬間も自ら実践して下さり、その姿勢から気づかされるのです。
「蓮の中の宝石」の、その真実の美しさを教えていただきました。
71番のボトルを目にするたびに、私はこれからもこのことを想い返すことでしょう。
今回は、このことをとてもお伝えしたいと思いました。
ゴールデンウィークにラハシャ先生のコースでお会いできる方がいらっしゃるとしたら楽しみにしています。
柏村 かおり 記